うちの子流~発達障害と生きる

発達障害を持つ子供たちとの日々をつづります。

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学校で学んで欲しいこと

前記事で娘は自由時間に一人で過ごすことが多いと書きましたが

集団の中の娘 ひとりだっていいじゃない  

学校で指示された集団活動(運動会やクラス活動)においては

現在のところ問題なくこなしています。

グループで自由に遊ぶことは出来なくても

指示があれば人と関わることは苦にならないよう。

幼い頃に言葉を理解していないのかと思うほど

まったく言うことを聞かなかった娘ですが

(おそらく人の指示を聞かなければならない理由を納得していなかった)

4歳で発達障害の診断がおり、グループでの療育を続けてきたことで

徐々に慣れて行き自分の中で納得が出来てきたのかと思います。

思い込みの激しいのもあり「ここではこうするもの」と

最初にインプットされればスイッチが入るようになりました。

特に就学前に1年間通してのプログラムだったグループ療育は

学校形式で行われていたのでとても助かりました。

始めはじっとしていられなくて机やいすをガタガタつづけ

椅子ごとひっくり返ったり、先生の板書を

「ぱんだはひらがなじゃない!!」などと大声で指摘したり。

ひとつずつ子供に納得がいくよう説明してくれ

グループ活動もこの場合はこうするといいよと具体的に

多くの例を学びました。

 

息子の場合は元々指示のよく通る子なのですが

指示がない場面において人とどう関わっていいのかわからない、

指示の解釈を考えすぎてわからない傾向があったので

療育でパターンを学ぶことで安心感を得られたと思います。

 

子供たちに「なぜ自分は療育に通っているのか?」と聞かれた時から

とっとと障害告知をしたのですが

障害告知について - うちの子流~発達障害と生きる

その後も療育に通う意味について、

なにを目的に通っているのか時々話します。

幼稚園や学校に通う意味と目的も納得いくまで何度も話しました。

特に息子は自分になんらメリットが感じられなければ

頑張る気にはなれない人なので

幼稚園の自由時間に外遊びを勧めれば

「なんで外で遊ばなくちゃいけないの?」

「いけないことはないけど、今は体が成長している時期だから

 しっかり運動をすれば丈夫な体になるよ」

室内の時も、微細運動の苦手さを説明し

手先を使う遊びが訓練になると勧めると色々やっていました。

明確な目的と本人の納得があれば

少々のことは我慢して頑張る気になるようです。

集団適応も自分にとって必要なスキルだと納得した上で

出来る範囲で頑張っているんだと思います。

うちの子の場合は指示のある集団活動は

本人の頑張りでなんとかなる範囲のようですが

感覚過敏や強い不安やこだわりがあるお子さんだと

頑張りだけではどうしようもないものですし

個々に合わせたサポートが必要になります。

ここはあくまでうちの子の場合の話ですのでご了承ください。

 

生きていく限り、人は人と関わって行かなくてはなりません。

社会性やコミュニケーションに苦手を抱えたうちの子も

いずれは一人で社会に出て行くこととなり、

他人とうまく関わることが出来なければ生きて行くこと自体が苦しくなる。

とはいっても障害を抱えている身で健常者と同じく

友達をたくさん作ったりは出来なくてもいい。

それでも、社会に出て出会うであろう多くの理不尽や

考えや感覚のものさしの違う人たちとの折り合いのつけ方だけは

身に付けて欲しいと思っています。

人を不快にさせないための基本的な集団ルールを身に付けるのも

人の迷惑になるからが主眼ではなく

人を不快にする行動は巡って自分の苦しみに返ってくる。

まずは社会の中で自分を守ることを覚えて欲しいのです。

 

 学校に行く目的として娘によく言っていたのが

「いろんな人がいるからしっかり見ておいで」

元々他者との境界が甘いこともありますが、

自分と人との違いだけではなく、人と人もみんなそれぞれ違うこと。

それもいろーんな考えを持った人がいるということ。

仲良くなれる人もいれば、話しても分かり合えない人もいること。

多様な人々とどう自分が過ごしていくのかを

しっかり学校で学んでほしいと思っています。

社会生活と学校生活では違うところは多々ありますが

おおまかなところで学校は社会の縮図だと思っています。

周りはあまり見れないけども合わせる行動のできる娘は通常学級で、

周りはしっかり見ているけどどうしていいのか困ってしまう息子は

支援学級で明確な指示やスモールステップで、

少しずつ少しずつ、いろんな人との自分なりの関わり方や

その中での自分の居場所を見つけてくれたらいいなーと。

 

もしも、うまくいかず、苦しくなって

どうしても学校へ行きたくなくなったら

行かなくてもいいと子供達には言っています。

不登校問題にまだ直面したことのないので

実際にはこんな安易に言えることではないのかもしれませんが、

今の私の考えでは二次障害を起こすより

不登校でも子供の心を守るほうが大切だと思っています。

学校は社会に出るための練習場所なんだから

うまくいかなきゃ何年か休憩したっていいじゃない。

失敗したってやり直せる経験のほうが大切だし。

って考えはぬるいのでしょうか。

何年後かに実際に不登校になって

全然違うことを言ってるかもしれませんね。

 

いつでも学校やめていいと言っているもので

朝に弱い子供達がなかなか起きない時に

「学校いきたくないのかー、じゃ、やめるって先生に電話するね♪」

「いくー!!!」といって慌てて起きだしますww

 

なんか今日の記事はなにが言いたいのかよくわからないですね><

つかいつものことですが・・・orz

書きたいことは次々と断片的に浮かぶのに

まとまった文章にするのは難しいデス。

 最近は過去記事と内容がかぶることも多いし

わけわからんことになっていたりしてすみません。

学校で学んで欲しいことって勉強じゃなくて人付き合いという

親の勝手な希望を書いただけの長い文章に

最後までお付き合いいただきありがとうございますm(_ _)m

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