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うちの子流~発達障害と生きる

発達障害を持つ子供たちとの日々をつづります。

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乳がん、母子家庭、発達障害を持つ子供たちと共に、私は生きていきます。

子育て観

いつもは発達障害児の子育て、それにまつわるお話を書いているこのブログですが、今回は我が家の現状について、私のこれからの生き方を決意表明させていただく場にさせていただきたいと思います。

ざっくり言うとバカな私の不幸自慢と、それでもずうずうしく生きていくよ宣言ですので、不快な方はそっと閉じていただければありがたいです。

私はとても弱い人間ですので、自分の中だけに溜め込めず、宣言することで前を向いて生きて行きたい。自己満足のための記事です。そして、これはこのブログでこれからも私の子供たちとの生活を書きつづけていく上の背景となってくるので、ツイッターだけでなくこちらでもご報告させていただこうと思いました。

離婚と母子家庭の生活

昨年9月、子供たちとの父親とは離婚いたしました。離婚の原因は様々ありましたが、長い時間お互いに悩み続け、これが私たち元夫婦にとっても、子供たちにとってもベストな方法であろうと決断しました。

子供たちにとっては両親が揃っていること、どんな親であれ、小さいうちは近くにいて欲しい気持ちがあるだろうということは承知していました。それでも、頻繁に親同士が激しくいがみ合い、子供たちの心の安全基地となっていなかった我が家では、これが一番よい方法だと思いました。

幸い円満離婚に至ることができ、今でも月に数回はうちにきて子供たちとも交流があり、一緒に運動会を見に行く仲であります。

そして元夫は、今でも私を支えてくれる大切な人でもあります。共に生活をして距離が近すぎるとぶつかってばかりでしたが、適度な距離が保てたことによってお互いを思いやることが出来るようになったという不思議な関係です。

元々夫婦であったころから経済的には厳しい状況でしたが、母子家庭となり、子供たちとの生活を支えるために深夜のスーパーでパート勤務を始めました。

我が家には私と子供たちのほかに、私の父親が同居しています。私の両親も私が高校生の時に離婚しており、心臓が悪く歳をとり頻繁に入退院を繰り返すようになってから一人にしておくわけにはいかず同居を始めました。今は70代半ばですが心臓の内部障害として身体障害者となっています。しかし父は年金を規定年数まで納めていなかったために無収入です。父が家にいてくれるおかげで子供たちを置いて深夜に仕事に出ることができていますが、父も養っていかねばならない状況です。

乳がん告知

4月の始めごろ、左胸に異変を見つけました。以前から乳がん検診でかかっていた病院にすぐに電話をかけ予約をとりました。4月の終わり、検査の段階からこれは悪性の前提で検査を進めて行ったほうがよいといわれました。実質がん告知をされたようなものでした。その場で泣き崩れてしまいました。

結果は一週間後と言われましたが早めに出してくださり3日後には、取った細胞の結果はレベル5。ガンでした。(レベルは進行のステージではありません)

その病院でも治療することはできるが、乳がんの専門医がいないこと、希望があればどこでも紹介するよと先生に言われ、相談の上、専門医のいる大学病院を紹介していただくことにしました。ゴールデンウイークを挟むため予約は5月半ば、検査は5月末となりました。

そしてエコー、細胞をとる検査、全身の転移を調べるMRIやPETの検査を経て、左乳房に2.4センチと1センチ、リンパ節に1.2センチの腫瘍が見つかりステージ2bと言われる段階であることがわかりました。

治療方針として、摘出手術、抗がん剤による化学療法、どちらが先でも良いと説明をうけ、抗がん剤による術前化学療法を選びました。一回目の抗がん剤治療だけは2泊3日で入院して行うことになりました。

そこまでの2ヶ月弱、私は不安や焦りや絶望やわけのわからぬ混乱の中にいました。

これからの生活がどうなるのか、もしもの時にまだ幼い子供たちがどうなるのか、子供たちになんと話したらよいのか、私が子供たちに出来ることはなんなのか。考えることが一気に押し寄せました。

その間、学校や子供のかかっている医療に現状をお話し、私の治療生活で子供たちへ家庭でのサポートがおろそかになる可能性があること、学校でも今まで充分にしていただいていますが、現状を踏まえ気持ちの面で子供たちを支えていただければ嬉しいとお願いをしてきました。職場にも、身内にも現状を伝え、これからの相談をしました。

ネット上でもクローズでお話できる方に今の私の気持ちを聞いて受け止めてくださる方々に支えられ、安心して吐き出させていただいたことで心の整理が少しずつついてきました。

そして入院前の6月4日、子供たちへ話す決断をしました。

ツイッター上でもみなさまにオープンにした上で病と戦っていく決意をしました。

 

ツイッターで公につぶやいたところ、たくさんの方々から応援のあたたかいメッセージをいただきました。同じ病気で戦っている先輩方からも、いろんな困難を乗り越えられてこられた方々からも、大丈夫!と力強い言葉をかけていただきました。

がんは人生を二度生きられる

がんは人生を二度生きられる

 

 

 今の私の気持ちとしては今後もこのブログで私の発達障害児の子育て、それにまつわる情報の発信を可能な限り続けて行きたいです。

おかげさまでこのブログはたくさんの方々に読んでいただいております。

私も最初は自分の子供たちに発達障害の診断がついて、どうしたらよいのかわからず情報を調べまくって、悩み迷いながら子育てを続けてきて、先輩方からも多くのアドバイスをいただいてきました。

そんな過去の自分に対してこんな情報があるよ、こんな風にしたらよかったよ、という手紙を書いているつもりでいます。

このブログは専門家でもなんでもないいち保護者の得た情報と子育ての経験の記録です。個々さまざまなタイプがいる発達障害児のたった2人の具体例と私の考えでしかありません。それでも後に続く方々にとって私たち親子の経験や情報が、なにかのヒントになることがあればよいなと思って書き続けています。

私が先輩からうけとってきたバトンを渡したい。そして世の中の少しでも多くの方々に知っていただくことで、多くの困っている子供たちが生きやすい世の中に近づく小さな一歩になることができればいいなと思って発信を続けています。

私個人がみなさまに支えていただいているお礼としてお返しできることは、可能な限りでこうして発信を続けていくことしか現状はございません。

余裕が出来れば、私の闘病日記は別のブログを立ち上げて、自分が生きつづける力のための記録として書いていきたいなぁと思っています。

子供たちにも私の病気を、そのことで起きてくる苦労や不安や不都合を背負わせることになってしまいましたが、周りの方々のお力を借りつつ、私の出来る限り支え、今後も共に生きて行きます。

私たち家族が生きていくために、子育て、医療などで、今までも社会福祉のリソースを多く割いていただいております。そして私の勝手な事情で離婚、病気をわずらい、今後は医療や児童福祉などでより多く社会の皆様のお世話になっていくこととなりました。

限られた社会資源のお荷物であることは重々自覚しており、世の中のみなさまのお力を分けていただくことで私たち家族は生きながらえていると感謝しております。

今はまだ小学生の私の子供たちが社会に巣立つまで、どうぞ私に見守らせてください。

私は生きて、子供たちとの未来が見たいです。

今後も暖かく見守っていただければ幸いです。

たくさんのエールを送ってくださった方々に

世の中の全ての方々に感謝の気持ちをこめて。

本当にありがとうございます。

私はまだまだ生きます。

nanaio.hatenablog.com

※追記※

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