うちの子流~発達障害と生きる

発達障害を持つ子供たちとの日々をつづります。

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「どうして人を殺してはいけないのか」子供達と話し合ってみた。

先日、長崎で高校生が同級生を殺害し遺体をバラバラにした事件が起きました。

うちはテレビをほとんどつけていないので

子供達はこの事件の事は知りませんでした。

(シングルタスクのため、テレビをつけると他のことが一切できなくなって

 しまうのでどうしても見たい番組がある時しかつけません)

 

以前、息子が「どうして人を殺してはいけないの?」と聞いてきたことが

ありました。このことだけでなく、決まり事やルールの理由を

いつも尋ねてきます。

なんで学校に行かなくてはいけないのか、

どうして服を着なくてはいけないのか、

どうして音が聞こえるのか。

ありとあらゆることを聞いてきます。

時には一緒に調べたりしながら

たいていは可能な限り答えるようにしています。

全ての物事には理由があると思っているようで

それに納得したいのでしょう。

(世の中理由のないこともたくさんあるのですがそれはおいおい・・)

 

ネットのニュースで見る限り、

事件の被疑者になった女の子が事件を起こした動機に関して

「人を殺してみたかった」「遺体を解剖してみたかった」と答えているそうです。

成績優秀だったようですし、人を殺すことは犯罪であることや

犯罪を犯した後の事が想像できなかったわけではないでしょう。

それが重々わかった上で、興味が勝ってしまった、

我慢できずに実行に移してしまったのではないかと感じました。

 

法律や倫理上好ましくないことに興味を持つこと、これ自体は

おそらく誰にでもあるのではないでしょうか。

それを実行に移すことと思うだけには当たり前ですが大きく違います。

逆になぜ興味を持ったことを実行しないのか。

自分にとって不利な結果が待っているから?

ルールは守らないといけないから?

命は大切にしないといけないと教えられているから?

人それぞれで自分の納得する理由を持って、

興味と、していいこといけないことの区別をつけ

抑えるべきところは抑えて社会生活を送っているのだろうと思います。

もしかしたら興味を持って実行に移してしまった事件の少女は

してはいけないことと知りつつ、知っていただけで

絶対に我慢しなければならないこととまで腑に落ちる理由を

見つけられなかったのではないか。

だから興味が勝ってしまったのではないか、と想像しました。

 

うちの子供達が色々と聞いてくるのも

ただルールだからだけでは自分の中に腑に落ちるものがないから

理由を尋ねてくるのではないかなと思っています。

人を殺してはいけないこと。

多くの人は誰に教わることもなく自然と理解し

身に付けていくことなのかもしれません。

発達障害があり認知が少し多くの人とは違ううちの子達は

それが身についているのだろうか。

腑に落ちる理由を見つけただろうか。

 

昨夜、寝る前に子供達を呼んで話してみました。

どうして人を殺してはいけないと思う?

「法律だから」

「刑務所に入れられるから」

「殺された人の人生を奪ってしまうから」

じゃあ、なんで人の人生を奪っちゃいけないの?自分じゃないのに。

「うーん、その人や家族や周りの人が悲しいから」

例えば、人を殺してもいい世の中だったらどうかな?

法律でもOKだったらどう?

「怖い!」

「いやだ」

なんで?

「自分が殺されるかもしれないから」

嫌な人をいつ殺してもいいんだよ?

「いやだ!自分も殺される!」

そうだよね。安心して暮らせないよね。

だから法律で人を殺してはいけないって

決められているんじゃないかなって母さんは思うんだ。

それでも世の中には人を殺す事件も戦争も起きてしまう。

なんでだろうね。

「うーん・・・・」

 

そこで長崎の事件を子供達に話しました。

人を殺してみたかった、解剖してみたかったから

同級生を殺しバラバラにした事件があったと。

「えーーー、こわい」

「同級生を殺すとか信じられない・・」

(なぜ同級生ってところにひっかかったのかは謎)

やってはいけないとわかっていてもやりたい時ってあるよね?

「うん」

どうしても興味があってやりたくてもやっちゃいけないことだったら

どうする?

「我慢する」

「違うことでやってもいいことに変えてみる」

我慢できるかなぁ?今まで我慢できないこともあったよねぇ。

「人を殺したり絶対にダメなことは我慢できるよ」

興味を持つこと、心の中だけでいけないことを思うことは

誰でもあることで決して悪いことじゃない。

でも我慢できなくてしてしまったら、大変なことになる。

我慢が出来ない時にどうすればいいか、これから大きくなるまでに

しっかり考えてみるといいね。

「何か違うことで気を紛らわす!」

「誰かに相談する」

人を大切にできない人は人に大切にはされない。

人に大切にされたければ人を大切にしないといけない。

気持ちも一緒。自分の気持ちを大切にしてほしかったら

人の気持ちも大切にしないとね。

 

一部で、被疑者の少女がアスペルガー症候群であることが原因で

事件を引き起こしたような表現がされている報道があったそうです。

このような報道でまるでアスペルガー=犯罪予備軍であるような

偏見が助長されることに、とても憤りを覚えます。

見ている人たちにとってみれば「これが原因」と

腑に落ちるものが欲しいのでしょう。

マスコミにとっても注目を集めやすいネタなのでしょう。

しかし、当事者、その家族としては許せることではありません。

 

仮に本当にアスペルガー症候群であったとしても

なんでもひとくくりにして話されるのは迷惑です。

人はアスペルガー症候群とそうでない人の2種類しかいませんか?

血液型で性格がわかるというのなら

世の中の人はたった4種類の性格しかないですか?

発達障害者にも色んな人がいる。それ以外の人たちもみんな違う。

しかしこういった報道がなされることによって

発達障害者=危険人物と思う人はきっと増えたことでしょう。

後で訂正と謝罪の報道がなされたとしても

最初の報道を見た人すべてがそれを見ているのでしょうか?

そういう偏見が増えて行くことで

より生き辛い世の中になり、無理解が二次障害を産む。

生き苦しさから中には自分から命を絶ってしまう人もいる。

殺人を犯した人を報道で責めながら、

偏見を助長することは新たな殺人を助長する行為と同じだと思うのです。

 

子供が事件を起こしたら、まさかこの子がそんなことを・・・

という周りは多いことでしょう。親でさえ。

発達障害あるなしにかかわらず、被害者になる可能性と同じく

加害者になる可能性もあるのです。

そうはならないと信じたいけれども子供の人生にもなにが起こるかわかりません。

被害者にも加害者にもならないように

親が出来ることはなんなのか。

子供達と話し合ったこと、これが子供達に役に立つのかどうか

正解はわかりません。

自分が出来る範囲で子供達に伝えたいメッセージを届けて行く。

子供達の知りたいことに答えて行く、

世の中で起きている様々なこと、いろんな人がいることを伝え

子供達が見ている世界を広げる手伝いをしていく。

アンテナをはって子供の心の変化に気付くよう心がける。

これくらいしか思いつくことはありません。

 

尾木直樹さん(尾木ママ)がブログで

自分が大切にされた実感が持てれば人も大切にできると

おっしゃっていました。

命の大切さはどれだけ『教えて』も伝わりません…|尾木直樹(尾木ママ)オフィシャルブログ「オギ☆ブロ」Powered by Ameba

大切にされた実感、自己肯定感。

これを育てたいと日々やってはいますが

出来ているのかどうか・・・・ん~~~~。

まずは私自身が自己肯定感を持つことが先決なのかもしれません。

難しいですよね・・・。

 

最後に、本当に理不尽な理由で被害に合われた方の

ご冥福をお祈りいたします。

 

※追記

後日息子が「自殺もいけないことなの?」と聞いてきました。

どう思う?と返すと「そんなにいけない事じゃないと思う。」

「だって人の命をとるんじゃないから」

じゃあ、母さんが殺されました。どう思うかな?

「ダメ、そんなことならない」

それなら、母さんが自殺しました。これならいい?人の命とらないから。

「ダメ!」

だから自殺はよくないことなんじゃないかなぁ。

自分の命を大切にできない人は人の命も大切に出来ないよ。

「そっかあ~」

これで納得してくれたな^^;

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