うちの子流~発達障害と生きる

発達障害を持つ子供たちとの日々をつづります。

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発達障害児に普通学級で迷惑をかけられていたらどうする?

前回書いた記事に対して、コメント主さんから再度コメントをいただきました。

nanaio.hatenablog.com

 最初にいただいたコメントの内容から私自身が想像で勘違いしていたことも多く、勝手に憤りを感じてそれをきつい言葉で反論してしまったことを反省しお詫びいたします。

はてなブックマークや他の方々のコメントでもいろんな意見を伺いました。

本来、障害児側とその他多くの方々の対立を煽るのがこのブログの趣旨ではないはずがそのような結果を招いてしまったのは、私自身の未熟さだと反省しております。

しつこいようですが、コメント主さんからいただいたお返事にまたお返事を書きたくなりました。今回はどうしたらお互いが納得し、少しでも不快な状況を減らせるか、建設的に考えたいと思います。

様々な特徴を持つ障害があるお子さんと、その他多くのお子さんが同じ教室で学ぶにあたっては、特性ゆえの難しさが出てしまう場合もあると思います。

そして国は障害のある子もない子も含め、ひとりひとりの教育ニーズに合わせた支援を行いながら共に学ぶ「インクルーシブ教育」の推進をしています。これはコメント主さんや私の子供たちに限った話ではなく、今後も多くの方々が直面する問題だと思いました。

ひとつのケースとして、お子さんに携わる方々に一緒に考えていただければと思います。

 

渦中のコメントを書いた者です。
『合理的配慮』とは何かを探していた時にこちらのブログを拝見し、通りすがりの身ながらコメントさせて頂きました。嫌がらせと捉えるかなと心配してましたが、丁寧に返答して頂き感謝しています。
障害の度合いは様々なので、それぞれの方に当てはまる意見ではなかったと反省しています。
なので、もう少し私が悩んでいる事を詳しく書かせて頂きます。
前コメントに書いたクラスメイト(障害者)は、
授業中に独り言が多いので、近くの席では先生の声や友達の発表が聞こえにくいと我が子が困っていました。
その事を問題として論じると差別になるのか…と悩んでいました。席替えしてもまた別の子が困るのだけではないか。どうしたらよいのか悩んでいました。
特に我が子を医者にしたいと思っている訳ではないです。
(飛躍的な表現の方が分かり易いかなと思い、そう書きました。こちらに論点がズレないようお願いします。)
普通に授業を受けたいだけなのです。

ご意見を伺うとそれは「学校側の問題」とされそうですね。その子が居ても授業が滞りなく行われるべきだとのお考えも分かります。先生も注意してくれます。注意した時は静かになりますが、また数分後喋り始めます。これを何度も繰り返し行う状況は学校側だけの責任なのでしょうか?

どうしたら皆んなに良い結果になるのかと考え、
我が子が通う小学校には特別学級があるので、
そこにその子が通う事がお互いの為のではないのかと思った次第です。
しかし、その子のお母様の発言もあり(前コメント参照)…
合理的配慮について調べ始めたのが経緯です。

ドラマ『ataru』のように障害者でも素晴らしい才能がある方がいらっしゃるのは分かります。
でもそうでない方もいらっしゃるので…
タブレットとか機材導入で皆んなと同じレベルを理解出来るのでれば、同じクラスでも問題にならないと思います。
むしろ、子供達はそういった状態で学習するお友達を尊敬すると思います。
でも今回のケースは、
全く授業についていけない子なのです。

学校の先生に憧れ始めた我が子が、
その子専属の先生の様子を見ているうちに
「学校の先生もなんか違うな」と呟きました。
ちょっと残念に思いました。

結局はその子のお母様にご意見を伺わないと
なぜ特別学級に入れてあげないのか理由が分からないのですが、直接聞くにも問題として先生に伝えるにも差別なのかと悩んでいます。

合理的配慮も分かりますが
お互いが少しずつ遠慮し合える状態が良いのではとも思い、コメント投稿させて頂きました。
ずるいとはちょっと違いました。
nanaioさんのお子様達とはちょっと違う障害度合なので、こちらへの投稿不適切でしたらすみませんm(__)m

 

お子さんが授業を聞き取れなくて困っていらっしゃるのですね。それはお子さんにとってもとても困ることだと思います。

そしてこれはコメントからの想像ですが、その独り言の多いお子さんは授業についていけていないということは、わからないことを延々聞かされつづけて退屈に耐えられず独り言が出てしまっているのか、元々言葉の多動があるのか衝動が抑えられないのかなと思いました。

前回も書いたとおり、私の個人的な意見はわからない授業を毎日何時間も座って聞き続けるのはそのお子さんにとっても大変な苦痛であろうと想像します。学ぶことが目的で学校に通っているのですから、そのお子さんが学ぶ楽しさを感じられる環境、理解度に合わせた環境で学ぶほうが望ましいと思います。

自分の理解度を越えた話は100を聞いても10も吸収できません。これは大人でも同じことです。それならば理解度に沿った話を50を聞いて40を理解できるほうが効率的ですし、わかる楽しさこそが学ぶ意欲に繋がると私個人は思っています。

(かといって支援学級がどこでもそのような環境であるかどうかは学校次第というのが現状です。)

ただ、そのお子さんと保護者の方が通常学級の在籍を望む限り、他者が在籍学級について口を出すことは権利の侵害です。これは合理的配慮とは直接関係がなく今回の障害者差別解消法が出来る以前から、公立の学校であれば、選ばれた子供ではなく地域の子供たちが通うことができる場所なのです。

しかし現状ではどちらのお子さんも困っている。これをどうにかするためには、今の学級の中で学校を含め関係する方々が工夫をしていくしかないと思います。

 

障害は迷惑をかけていい免罪符ではない

 コメント主さんのお子さんが困っていることを訴えたら障害に対する差別になるのではないか、ご自分のお子さんが離れられてもまた他のお子さんにしわ寄せがいくのではないかと心配されているのですね。

どんな人でも意図せず他人に迷惑をかけてしまうことはあります。障害特性ゆえにその頻度が上がる場合も多々あると思います。どんなにがんばっても迷惑をかけてしまうことがあります。

ただ、障害があるから迷惑をかけても仕方がない、だから周りだけが我慢しろとは私は思いません。おっしゃるとおりお互いの歩み寄りがあるのが理想ですよね。

障害は人に迷惑をかけてもいい免罪符ではないと思っています。

「合理的配慮」は今のところ障害を持つ人に限定された権利です。しかし、他の人々もみんな同じように尊重されるべく人権があります。それをないがしろにする権利は障害者にも誰にでもあるわけではありません。

コメント主さんのお子さんも学校でしっかり学ぶ権利が当然あるわけで、それを阻害されているのであれば学校側に配慮を求めてもいいと私は思います。それは差別には当たらないのではないでしょうか。

自分のお子さんが迷惑をこうむっているのであれば、どこか行って欲しいと思うのは子を思う親として当然のお気持ちだと思います。これは障害があるなしに関係なくあること。うちも幼稚園の頃から息子をターゲットに暴力を振るう通常学級のお子さんがいて、学校にお願いしてクラスを分けていただいています。普通のお子さんの保護者でも、相性の悪いお子さんとはクラスを一緒にしないで欲しいと学校にお願いしている話はよく聞きます。

ただ、障害を理由に他者を排除しようとするならば、差別と受け取られても仕方がないかもしれません。

学校の考え、先生のスキルにもよりけりなのですが、在籍学級をかえる以外にも出来る工夫はあると思います。お子さんが困っている状況を学校に伝え、皆さんのアイディアを出し合えばなにか方法がみつかるかもしれません。学校の先生はいろんな技を持っているケースもありますよ。うちも先生の隠し技(?)でいろいろと助けられています。

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 前記事にも書いたうちの息子の交流クラスで学級崩壊がおきかけた時は、保護者が何人かまとまって(通常学級ですので障害児の保護者は私だけ)学校側と話し合いの機会をもたせていただきました。担任の先生だけでなく管理職の先生方も含めて保護者からそれぞれの現状や希望を話し合い、学校側でチーム体制を作って対策をしていただきました。

その話し合いの中では、問題のお子さんにとっても支援学級など手厚い環境で学ばれたほうがよいのではないかと、コメント主さんと同じ意見をもたれる保護者の方もいらっしゃいました。それは当事者の意思と規定の診断があった上で市教委が決定することですので、学校側も明言は避けられていました。しかし出来る限りの対応はしてくださいました。

学校にも先生個人にもキャパシティが限られているし、それぞれ体制や考えも違うためにどこでも同じような対応がしていただけることはないのですが(特にうちの子供たちの通う学校は恵まれた環境だと思います)、お子さんが困っていることを伝え対策をお願いするのは、共に子供の成長を支える家庭と学校の連携としてやっておかれたほうがいいのではと思います。

私は私の子供が障害のために困っていることで学校側と相談して可能な範囲の「特別支援」はお願いしたいと思っていますが、みんなと学ぶ以上「特別扱い」は望んでいません。それは私の子供たちも同じ気持ちだと思っています。

「障害者を差別しない」というのは、障害者というくくりではなく一個人として接する、一人の人間、一人の子供として他者を尊重することだと私は思います。

私の子供が迷惑をかけているのだとしたら、相手の方に障害児だからと遠慮して黙って我慢してほしいとは思いません。言っていただいて、学校を挟んで対策を考えていきたいと思います。それは周りのお子さんのためだけではなく、わが子のためでもあります。障害があろうともいずれ親の手を離れて社会に放たれるのですから、社会のルールとして人と関わるための大切な学習機会です。

私たちも子供が困っていたら学校に相談し、配慮をお願いします。これは障害児の特権ではありません。なんでもかんでも言って先生や学校に負担をかけるべきではないと思いますが、子供の学びや育ちの保証に必要なことであれば、どんなお子さんでも配慮を求めてよいのではないでしょうか。

ただ、今までだと機器の持ち込みや障害ゆえにお願いしたかった配慮が「前例がない、他の子供たちに示しがつかない」という同調圧力や管理の問題で断られていたものが、『合理的配慮』によって合意に達することができればお願いすることができるようになったというだけなのです。

合理的配慮としてはこの4月に始まったばかりで、解釈や運用の仕方がどこもまだ手探り状態です。求める保護者も学校も教委もどこまで可能なのか、個々のケースに悩まれていると思います。

 

実は私の息子も、交流学級ではクラスがざわついていると先生の声が聞き取れなくて困っていました。これはコメント主さんのお子さんとはおそらく違う理由で、聴覚過敏を持っているために必要な音を選びにくいのです。

合理的配慮としてクラスメイトに先生から説明していただきノイズキャンセリングイヤホンを学校に持ち込み使っています。これは雑音を消し人の声を聞きやすくする機械です。これで聞き取りやすくなったようです。(コメント主さんのお子さんとは理由が違うでしょうしこれを勧めているわけではありません)

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 障害児の保護者といえども一様ではない

 当然のことながら障害を持つお子さんがいても、その保護者の状況や考えやお子さんへの理解も様々です。私はその中の一例にすぎません。

 中には障害があるから周りは我慢して当然、なんでもかんでも配慮しろと考える人もいるかもしれません。

 逆に障害があるから周りに迷惑をかけないよう、必要以上に周囲に気を使われる方もいらっしゃいます。

 お母さんがお子さんに対してとても理解があり、仮に支援学級のほうがよいと思われていても、家族の理解がなく反対され入れることができないケースもよくあります。

 わが子の障害を認め受け入れるのに数年の歳月がかかることも珍しくはありません。

受け入れられても、この子にとってどの環境が望ましいのかは正直入れてみないとわからないのです。私は娘を通常学級に、息子を支援学級に入れて今ではこれでよかったのかなと思っていますが、最初は悩みぬきました。

ですので、お話をされるのであれば直接そのお子さんの保護者ではなく、学校に相談されたほうが無用なトラブルは避けられるのではないかと思います。相手も細かい事情まで他の保護者に対して説明したくはないでしょうしね。

学校での出来事ですので、学校に対応していただかない限りはどうしようもありませんし、保護者の間だけで話し合いをされるよりは、学校をはさんだほうが出来ることは多いはずです。私ならまず担任の先生に相談し、担任の先生でどうにもならなければ、学年主任や教頭など管理職に対応をお願いすると思います。

コメント主さんのお子さんが、補助の先生をみていて学校の先生にがっかりされたようですが、おそらく専属の先生は支援員さんではないでしょうか。支援員さんとは自治体によっても違うと思いますが、有償ボランティアやパートタイムで正式な教員として採用された方ではない場合がほとんどです。教員免許がなくとも支援員はなることができますし、障害児に対して専門の知識やテクニックがあるかどうかは個人差がとても大きいと思います。素晴らしい支援をしてくださる方も多いですが、中には対応がまずくクラスの中で不適切な行動が増えるケースも出てきます。

お子さんにとっては支援員さんも教員の方もぜんぶ「先生」と呼ぶので区別はつかないですよね^^;

 

「合理的配慮」を社会全体の利益につなげてほしい

ここからは理想論と私の願望ですが、合理的配慮があることによって障害があっても周りの人々と同じように社会に活躍できる人が増えるということは、社会全体の利益にも繋がると考えています。誰もが安心して暮らせる社会の実現に向かう一歩だと私は思っています。

公立学校で行われる障害児に対する手厚い配慮は、当然予算がかかります。それは税金によって支払われるものです。

支援学級に通う私の息子は、少人数ですので他のお子さんよりも多くの税金が投入されて学校で学ぶことができています。この点においては不平等であり、環境を与えてくださっていることに感謝いたしております。

これは全ての子供の学ぶ権利を保障するための制度ではありますが、障害があっても個別の配慮があることにより、長じてから社会に還元する可能性のある人を増やすことにも繋がるはずです。社会全体の利益という点だけに話を絞れば、教育現場で手厚い支援があることが、後々には社会の負担を減らすことになると思うのです。

特に通常学級である場合、障害であるなしに関わらず一定数は集団生活になじめないお子さんが出てきます。そこに個別の対応がなされなかったら、クラス全体に不利益が発生する場合が多くなってきます。個別の配慮はそのお子さんだけに限らず、クラスに在籍する全てのお子さんの学びの保障にも繋がっていると思うのです。

合理的配慮を含むインクルーシブ教育の推進は、障害をもつ子供たちのためだけのものではありません。

インクルーシブ教育とは、全ての子供ひとりひとりが全て「違う」ことを前提として、それぞれのニーズに合った適切な教育支援をしていこうというものです。文部科学省が推進しています。

共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告) 概要:文部科学省

障害がないお子さんも当然ひとりひとり違うのですし適した学び方や理解の仕方も違います。多様なニーズに応じることの出来る教育環境を国を挙げて推進しようとしているのです。ただ障害児をクラスに混ぜるだけのものではありません。

障害のないお子さんだけのクラス(が仮にあったとして)でも、当然それぞれの学習能力や認知の特徴に差があります。一斉授業だけではその中央値にあたるお子さんだけが適しているということになってしまい、ついていけない子はわからない授業に困り、学習能力が高い子にはつまらない授業になってしまうでしょう。もちろん今でも先生方は出来るだけ多くのお子さんがわかる授業作りに日々努力されていることと思います。それでも限界があることを仕組みごと変えていこうという試みがなされるようです。全国の学校でタブレットでの電子教科書の配布が始まるのもその一端だと思います。

当初は混乱することになるでしょうが、多様なニーズに応じた教育は全てのお子さんにとって有益なことだと思いませんか?

学校が集団の場であるかぎり、個々への対応というのは先生方にとって大変な労力を要するものだと思います。先生個人の努力に頼るだけでなく、人員や予算を投じ国を挙げて支援していただきたいと願っています。全ての子供たちはこれからの社会を担う大切な宝なのですから。

nanaio.hatenablog.com

 障害児・者への合理的配慮を発端として、全ての人々が違いを尊重しあい、ひとりひとりが大切にされる社会の実現に繋がってほしいと願っています。

【お知らせ】

朝日新聞出版さんの取材をうけて「AERA」2016年5月30日号、5月23日号で記事にしていただきました。4週連続で発達障害を取り巻く問題について連載になっています。たくさんの当事者、保護者、専門家からの生の声をひろっていただいた記事になっていますので是非興味をもたれた方は手にとって見てくださいね!

AERA 2016年 5/30 号 [雑誌]

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