うちの子流~発達障害と生きる

発達障害を持つ子供たちとの日々をつづります。

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発達障害は「治る」のか

前記事に質問のコメントをいただきました。

私と同じく発達障害を持つお子さんを育ててらっしゃる保護者の方からです。

質問の文章からだと細かい部分はわかりませんが、ここで引用の上、お返事をさせて頂きたいと思います。

あくまでその質問の内容から私が思うことです。

 はじめまして。 読ませていただき、救われた気持ちになりました。 色々なアプリなど早速試してみたりしています。 懇談会で何故言語療法に通われるのか、放課後デイサービスに通われるのかがわからないと、波はありますが指導でクリアできる問題だと思いますよと。 聞く力が弱いと言われましたが、教科書開いてと言ってもテンポが遅くでおくれるから、聞き逃すだけで、大切だから聞こうとしてないだけだと〇〇君にも言いましたと。片付けができない、筆箱の中がぐちゃぐちゃ、やり方をかえてみて下さいと。 発達障害を理由に逃げてはいませんが、先生にはそのようにとらえているのかもと、残念な気持ちに。 普通にしていれば、健常者です、でもじっくり付き合うと、変です。1歳半から療育を受けてきたから、今はましで、普通に見えるだと思っています。ちがうのでしょうか? また、わからなくなりました。 私だってもう、健常者になった?と思いますよ、ずいぶん成長しましたから。でも、腕がないのが生えてこないのと同じで、治ることはないと、言われている私としたら、やり場がありません。 先生に理解してもらうためにはどうすれば良いのでしょうか? 先生に理解を求めず、過ごす方が良いのでしょうか? ごめんなさい。 始めてのかたにこんな話、でも、育てている方にしかってわかってもらえないから。

学校の先生とのやりとりについて

学校の先生とのやり取りに悩まれていらっしゃるとのこと。

ツイッターでやりとりさせて頂いている方々からも学校の先生の無理解でお子さんが辛い思いをなさっているお話はよく耳にします。

学校の先生と言えども発達障害に関しての知識も理解も様々。

これは通常学級に限ったことではなく支援学級でもそういうケースはよくあるようです。

多少の知識はあっても現場での理解はしていない、または技量の問題で対応できない、ご自身のやり方に自信を持たれていて変える気はないなど、色々とあるのでしょう。

目に見えないだけに障害を理由に言い訳をしているように捉えられるというのは本当に辛いことですよね。

何かができない、じゃ、家庭でなんとかしろ、だけではどうにもなりません。

家庭で出来ることもありますが、問題は学校で起きているのですから。

どんなに話し合おうとも平行線のままの先生もいらっしゃるでしょうが、こちらから出来ることはやってみたいですよね。

そういった場合、こちらからは「障害だから〇〇出来ない」という言い方は極力避けて、「こういう特性があるから〇〇してもらえれば〇〇出来る」という言い方に変えてみるのはいかがでしょうか。

出来れば最初に先生への感謝を具体的にあげてから、お願いする形にすると話がスムーズにいくかもしれません。

「この前先生が〇〇って言って下さったおかげでうちの子〇〇が出来るようになったんですよ。ありがとうございます。出来れば△△していただけると、うちの子△△出来るのでやっていただけるとありがたいです。先生もお忙しいと思いますが宜しくお願いします。」

みたいにちょっとヨイショしてから伝えると相手も悪い気はしないと思います。

可能であれば先生とは良好な関係を意識しておいた方がお子さんにとってもよいのではと私は考えています。

うまく行きそうならサポートブックのように、困り事と支援方法をまとめたものを手渡してみるのもいいかもしれません。

読んでいただけるよう箇条書きで出来るだけ簡素に書いたものがよいと思います。

nanaio.hatenablog.com

コメントからだとお子さんの学校での様子があまりわからないのですが、どうしても学校の環境が整わず、お子さんが学校に行くのが辛いとなっているのでしたら、 担任だけではなく支援コーディネイター、学年主任や校長など上の先生や、お子さんの特性をよく知る学校外の専門家を呼んでケース会を開いてもらうなどはどうでしょうか。

一番怖いのは二次障害です。

私は手を尽くしてももし二次障害になりそうなほど子供が学校で辛い思いをしているのなら、行かせないという手段にでるつもりでいます。

 

うちの子が学校にお願いしている支援

うちの息子の場合、緘黙傾向があり困った時にも助けを求めることが出来ません。だいたい半分の時間は支援学級で過ごしていますが残りは交流学級(通常学級)で過ごしています。

交流学級では生徒数が多いため、そんなに目を配っていただくことも不可能ですし、大人しい息子は何かあっても気づかれない可能性が高いのです。

そこで交流学級の担任の先生と相談し、息子から出せるサインを本人と一緒に決めてもらいました。

言葉で先生に助けを求めたり、先生に自分から声をかけることが難しいので、『授業中は自分の机の上に筆箱を立てる』のが息子のSOSサインです。

これなら先生も見てわかるので先生の方から声掛けをしていただくことになりました。

 

通常学級に通う娘の場合、ADHDで集中が難しい時もあるため、席を前の方にしていただくようにしています。くじ引きで決める場合でも先生の方でわからないようにだいたいの場所を指定する技があるそうです。

あとは気が散らないよう教室の前面の掲示物は少なくしてもらうこと。

複数の指示がある時は単語でもいいので黒板に手順を書いて視覚化してもらうこと。

これで聞き逃しがあってもミスを減らすことが出来ます。

発達検査の結果を基に、同時作業が難しいことを伝えて、授業で可能であれば別に板書の時間をとっていただくこともお願いしています。

娘は面倒だと思うと文字が自分で読むのも難しいほど汚くなります。

なので昨年の担任の先生と約束し、連絡帳を丁寧に書いたら数字を入れてもらっていました。連続何日きれいに書くことが出来るか。数字が日々増えて行くのが嬉しくて娘もがんばって書きます。これを半年ほど続けて娘は丁寧な字を習慣づけることができました。(ただし学校のものに限りますが><)

忘れ物や紛失物が多いのでランドセルに予備のハンカチティッシュ消しゴム鉛筆などを常備、学校にも許可を得て小さな筆箱を一つ置いています。

その他、何か困り事があるたびに、ケース会を開いて支援コーディネイターや担任の先生と相談し、何に困って、それをどういう方法で解決できるか具体的な案を話し合ってきました。

うちの場合は学校も先生方も非常に理解のある方が多いのでこのような環境が出来ているだけかもしれませんが、支援をお願いする際の具体案の参考になればと思います。

 

療育に通うこと

この文章だけではどのような先生なのかははっきりとわからないのですが、言語療法や放課後デイサービスに通うことがなぜなのかわからないのは先生側の勝手な意見で、正直ほっといてくれって話ですよね。

学校の勉強に特に遅れのない子に対して「なぜ塾に行くのがわからない」と言っているようなものに私は感じました。

そして言語療法は言語聴覚士さんによって行われる医療です。医師など専門家が必要と判断したから行っていることであって、学校の先生であろうとその分野の素人が口を出すことではありませんよね。

ただでも爆発的に診断がつく子供が増えている中でどこもいっぱいなのに、必要のない場合はとっとと医療的な療育を切られることが多いのが現状だと思います。

その部分はさりげなくスルーでよいのではと思います。

 

発達障害は治るのか

いただいたコメントの中で私が一番気になったのはこの部分です。

私も最初に診断がついた時に医師に「これは治るのですか?」と聞いた覚えがあります。答えは「治るというものではない」でした。

しかし適切な療育や環境などによっては適応して生きていくことはできると。

発達障害自体は治らないけどもうまく付き合う方法を獲得すれば多くの一般の方々と同じように自立し生活することは可能ではないかと思っています。

ただ、療育や投薬などの医療、その他支援は「健常者にする」ために行っているものと私は考えていません。

育ちの中で子供自身が自分の特性と向き合い、付き合い方やより過ごしやすく生きていくための工夫を会得するために行っていると考えています。

障害者手帳も療育手帳も持たないうちの子供達の場合、いずれ大きくなり社会に出ていく上で人との関わりは避けては通れません。親はいつまでも生きていないので自分のことを自分で出来るようにもならなくてはなりません。

その為に必要なスキルを身に付けて行く。

多くの子が自然と身につくであろう対人スキルや生活習慣などは、発達障害があると自然とは身に付かないケースが多いのです。

だからマニュアル(手動)として覚えて行く必要があります。そのための丁寧な関わりが必要で、それが家庭での対応、学校での支援、療育や医療だと考えています。

発達障害と診断されたからと言って成長しないわけではなく必ずその子なりの成長があります。ただ、そのスピードに凸凹があるだけなのです。

 

例えば、私の場合は人の顔は覚えられても人の名前を覚えることが非常に苦手で、毎日顔を合わせていても覚えられない相手もいます。

これ、結構困る事があるんですよね。でも努力ではなんともならないので、なんとか名前を覚えていないことを相手に悟られず会話したり、探ったりする方法を自分で見つけ駆使して社会で仕事をしてきました。

そして私は左利きです。小さい頃に文字だけは矯正されましたが、箸も包丁も左のままです。左利きだと複数人で外食する際には座る場所に気を付けたり、魚をさばくときに片刃の和包丁が使えず洋包丁でなんとか皮を剥いだりおろしたりです。缶切りも右の人とは逆向きに使います。

障害と名のつくものでなくても多くの人はなんら努力で賄えない特性を持っており、それを工夫で補いながら生きているのです。

発達障害の場合はそれがとても多い状態だと考えています。

 

うちの子供達も一見して障害者とわかることなどありません。

専門家でない人から見ればしばらく一緒に過ごそうとも個性の範疇に感じられる程度だと思います。

学校でも特に自分から問題を起こすこともなく、授業中の立ち歩きなどもありません。

早期療育と医療、学校の配慮のおかげで「健常児」と全く変わらぬ学校生活を送っています。

しかしうちの子供達ははっきりと発達障害の特性を持っています。

不適応な行動が今の所学校で出ていないにすぎません。

彼らの特性が障害なのか個性なのか、それを分けるのは社会との関わりにあると考えています。

社会的に不適切、不適応な行動が多ければ、迷惑をかけることもあるし理解も得られず多くの支援も必要とし「障害」となります。

しかし最低限のマナーや社会のルール、対人スキルを身に付けることが出来れば、「個性」として社会に受け入れられることも可能でしょう。苦手なことをうまく伝えることが出来れば周りからの助けを得ることも出来ます。場合によってはその個性を生かして生活の糧を得ることも出来るのではないでしょうか。

自分の中にある特性との付き合い方、そしてみんなと同じでなくても自分なりの社会との向き合い方を子供達に得て欲しいと願っています。

できれば自分の特性の「生かし方」を見つけられればいいな~と思っています。

教室の中の気になるあの子から発想した教材・教具 (特別支援教育ONEテーマブック)

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聞く力が弱い場合のトレーニングにはこちらもよいですよ^^ 

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