うちの子流~発達障害と生きる

発達障害を持つ子供たちとの日々をつづります。

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右と左がわからない?左右盲と発達障害の感覚の話

右と左がとっさに判断が出来ない。これを左右盲と呼ぶそうです。

私は左右盲で、未だ急に「そこ右に曲がって!」と言われてもわかりません。

今日は子供の話ではなく私の左右盲の感覚と

発達障害の感覚について気付いたことを書きたいと思います。

 

今日、ツイッターである俳優さんが左右がわからない、計算が出来ないと

もしかして学習障害ではないかという話題で盛り上がっていました。

(その方が診断を受けられた話は出ていないので一応お名前は伏せておきます。)

計算が出来ないのは算数障害(ディスカリキュア)と呼ばれ

学習障害の一種と言われていますが

左右がわからないのも学習障害の一つなの?と驚きました。

 

私は半世紀近く生きていますが、未だとっさに左右がわからず

運転免許を取る時は右手の甲に赤いマジックで印をつけて教習所へ通いました。

そんなことをツイッターでつぶやいていると

私と同じ左右盲だというリプライをたくさん頂きました。

私は現実で自分が左右盲であることとカミングアウトしても同じという人に

出会ったことがなく、とても珍しいものだと思っていただけにびっくりしました。

30歳くらいでネットで左右盲のことを知るまでは

世の中で自分だけが持つ感覚なんじゃないかと思っていました。

私をフォローして下さる方は発達障害関係の方が多く、

お子さんに発達障害があると保護者の方も似た特性を持つケースもあるので

もしかして発達障害と関係があるのかもしれない?

うちで診断がついているのは子供だけですが

自分も近い特性を持っている認識はあります。

検索してみるとどうやら左右盲と発達障害は関係がありそうです。

みえないものが想像しにくいことから左右盲になりやすいらしいです。

もちろん左右盲=発達障害というわけではありません。

左右盲についてはid:kukkanenさんが早速詳しく書かれていました。

www.kukkanen.tokyo

 

 左右盲で困る事は当然ですが左右を指示されてもわからないこと。

小学校に入った頃には自分だけが左右がわかっていないことに気付いていました。

私は左利きで、字を書く方だけは右に矯正をされました。

でもたいてい右左を教える時は「お箸を持つ方の手」と教えられます。

私の世代は左利きの人でも多くが矯正をされており

左で箸を持つのは非常に少数派でした。

私が左右がわからないのはお箸を持つ方と教えられ混乱し

どっちがどっちだかわからなくなったのが原因ではないかと思っていました。

発達障害関係なく左利きの人に左右盲が多いという話もあるそうです。

特に学校では「右向け右!」の号令など左右に関する指示はとても多く

周りを見ながらワンテンポ遅れつつなんとかがんばっていました。

そのうちに自己流で左右を判別する方法を身につけ

なんとか今までやってきたといった感じです。

私は宙に字を書いてとっさに出た手が右と判断します。

頭の中だけではどうしてもできず、必ず手が出ます。

なので判別するまでに数秒のタイムラグがあり、

車の運転などただでも緊張している時に「そこ右曲がって!」と突然言われると

(え?右?どっちどっち?うわああああ!!)とパニックになるので危険です。

今では運転中のナビゲーションを人に頼む時は

自分が左右盲であることをカミングアウトし、

余裕を持って曲がる方向を指示してもらうよう頼んでいます。

 

でも初めて私が左右盲であることをカミングアウトした人の多くは

左右が当然わかる人なのでなぜ右左の判別がつかないのかとても不思議がられます。

今までは自分が左利きだからと説明していましたが

左利きの人がみんな左右盲というわけではありません。

私は左右を知識として頭で知ってはいます。判別する方法も持っています。

しかし、体の感覚として身に付いてはいないのです。

だから反射的に判断ができません。

頭でわかることと、感覚でわかることは別物なのです。

おそらく左右がわかる人は体の感覚として左右の概念を身につけており、

あまりに当然過ぎて逆にわからないことが理解しにくいのだと思います。

 

これはひょっとしたら発達障害の人が持つ感覚過敏や

見えないものは認識しにくいことから起きるボディイメージの弱さなどと

同じなのではないか?と思いました。

なんで右左がわからないんだと言われても感覚の問題なので

わかんねーものはわかんねーし、逆になんで向きが変われば反対になる相対的なものが

感覚でわかるんだよとしか言いようがありません。

左利きと言えば説明が楽だからそう言っていた部分が大きいです。

人の感覚は産まれ持ったものなのでそれぞれが当然と思って生きています。

人が自分と大きく違う感覚を持っていることすら気づかないまま

人生を過ごす場合も多いのではと思います。

しばらく前に私のタイムラインで話題になっていましたが

記憶の仕方にも映像記憶なのか文字記憶なのか相当な個人差があるのです。

togetter.com

発達障害の人が持つ聴覚などの感覚過敏の辛さ、

ディスレクシアの方の見え方、ADHDの短期記憶の悪さなど

他の人にとって出来て当然と思っていることが違うので

「なんで出来ないの?」と努力や我慢の不足のせいにされがちなのです。

これを自分の左右盲に当てはめて考えてみても

頭でわかっていても出来ないものは出来ないのです。

ただ、工夫によってなんとか取り繕ってきただけなのです。

 

感覚の問題は言葉で説明しても伝わりにくいのでお互いに理解がしづらいものです。

啓発活動などにより、多くの人に自分が当たり前と思っている感覚と

違う感覚を持った人もいる事実を知ってもらうことも大切だと思います。

その上で、自分がどのように人と違うのか知る事により

自分に合った工夫を身につける、人にその説明をうまく話せるようになって

こう配慮してもらえればありがたいと言うことができる。

そこに特に障害名はなくても、これを身につけることが出来れば、

不便さや困難は相当緩和できるのではないかと思うのです。

うちの娘なら将来仕事に付いた時などに

「短期記憶が苦手なので指示を録音させてもらってもいいですか?」

「抽象的な表現を理解しにくいので具体的に短く指示してもらえますか?」

などと自分から言えるようになればすごく楽になると思うんですね。

自分の取扱説明ができること、これはひとつの目標にしています。

その為にも自分のことをよく知る事、自分と多くの人の違いについても知ることは

とても大切なのではと思っています。

実際に日々の会話の中でそのような話をよくします。

子供達に自分に合った工夫と上手な配慮の求め方を学んでほしいなと思っています。

発達障がいの子がいるから素晴らしいクラスができる! (トラブルをドラマに変えてゆく教師の仕事術)

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