うちの子流~発達障害と生きる

発達障害を持つ子供たちとの日々をつづります。

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家庭療育 生きる力をつけること

親として子育てをしていくうえで一番の目標はなにか?

「自分が死んだ後も子供たちが生き延びられるようにすること」だと私は思っています。

我が家には二人の発達障害児がいます。うちの子供たちの場合は、障害児と言えども障害者手帳も療育手帳も条件を満たしておらず現状では持っていません。成長の過程で二次障害などが起きれば変わってくる可能性もありますが、おそらく一般の社会に出て行かなくてはなりません。

福祉の制度を利用できる範囲の障害であればまた違ったやり方となるのでしょうが、うちの子の場合は一般の社会の中で自立して生きることを目指さなくてはなりません。

その中で一番必要な力はなにか、何があればこの子たちは生き延びられるのか、私に出来ることは何なのか。

生まれつきの障害ゆえの生き辛さを持ち、生きる上でこれから獲得しなければならないスキルは山のようにあるでしょうが、生活力をつけること、これが一番大切なのではないかなぁと思っています。生活力といっても就業に必要な力、日常生活を問題なく送る力、家族や周囲の人たちとの関わりなど色々ありますが、現在は小学生なので身近なところから少しずつ進めています。

家庭療育といえば、ソーシャルスキルトレーニングや感覚統合をイメージされる方も多いと思いますが、今回はもっと基礎的なお話です。

 

できることを増やす

当たり前のことなのですが、子供が自分自身で出来ることをひとつずつ増やしていく。これは幼児期の身辺自立(おきがえ、トイレ、食事など)だけではなく、将来一人暮らしをしたときを想定して生活する上で必要であろうと思われることを増やしていっています。簡単に言えば自分のことと家事全般です。

料理、掃除、洗濯、片付け、お金の管理、持ち物の管理、身支度、栄養のバランスなど、一般的には親がやっている仕事をひとつずつ子供の出来る範囲で覚えさせています。

りんごがあれば皮のむき方を教えます。子供がやりたがれば一緒にさせます。娘は発達性協調運動障害も持っているのでとても不器用で、包丁で指を切ることもあります。包丁がダメならピーラーでむく方法も教えますが、基本的には包丁でやります。多くの料理に包丁は必須なので慣れておく必要があるからです。包丁に慣れれば苦手な皮むきはピーラーでもかまいません。どうしてもダメなら違う方法を考えます。

何度かやって失敗して苦手だからやるのを嫌がることもあります。しかし、生きていく上でなぜ必要なスキルであるか納得するまで説明をすれば再度挑戦してくれます。

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先日は息子もやりたいと言ってきたので剥かせてみました。凸凹になってとても苦労しましたが最後まで一切れを剥き、自分で嬉しそうに食べました。

自分がどうやってりんごの皮の剥き方を覚えたかは見様見真似でしかなかったのですが、おそらくうちの子供たちはそういうやり方では覚えられません。ひとつひとつ丁寧にやり方を見せ、教え、やらせてみせて、練習を繰り返すことでないと習得は難しいと思います。

ですので年齢的にまだ早いと思う頃であっても本人が興味を示せばとりあえず教えてやらせてみます。お米も研ぎます。洗い物もします。料理も簡単なものなら教え作らせます。自分で作ったものは美味しそうに食べてくれます。

定型のお子さんであれば見よう見まねで習得していくことも多いでしょうが、そこは不器用な子供達なので丁寧に教えていかなくてはなりません。

お米を研がせてもこぼしてしまうことも多いし、洗い物も汚れが落ちきらず二度洗いしなければならないことも多いですが、とにかくやらせています。失敗すれば次にどうしたらその失敗を防げるか考えます。

娘の場合、積極奇異型でなんにでも興味を示し明らかにまだ危険ということまでやりたがるので(幼児期に揚げ物したいとかミシン使いたいとか)それは流石に止めますが、時期が来れば少しずつ挑戦させます。

料理だけでなく裁縫も教えています。ボタンくらい自分で付けられるようにならないと将来的に困ります。ミシンは流石に幼児には無理ですが、針と糸の使い方や縫い方は幼稚園の頃に教えました。

日常の洗濯物を畳む、しまう、週末の上靴や運動靴を洗う、お風呂掃除やトイレ掃除、ひとつずつやり方を教えています。

お金の管理もうちはポイント制のご褒美(トークン)でお小遣いを渡していますが、自分がほしいものにいくらかかっていくらためればよいのかを考えながらやっています。週末の買い物では予算を決めているのでその範囲の中で計算しながら自分のほしいおやつを選びます。

まだ小学生なので出来ることは少ないですが、日常生活は維持するだけでも大変でいずれは自分で全てやっていかなければならないと意識付けが出来ればと思っています。これは娘だけではなく息子にも同じように教えています。

 

子供たちに家事を教える理由

自分の育ちが関係しているのですが、私の親は生活面においてとても過保護でした。家事を教えてもらうことはあまりなく、実家を出た時には洗濯機の使い方すら知りませんでした。成人してからもみかんを剥いて目の前に並べてくれるような家でした。

元々片づけが苦手で物の管理も出来ず、忘れ物やなくし物も多かったのですが、片付けもほとんどやってもらっていた状態でした。

唯一、母が苦手だった料理だけは自分でやるようになり出来たのですが、それ以外の家事は全く知らない状態で親元を離れてしまい、いろいろ困ったことがありました。

物は散らかり荒れ放題。洗濯機に入れていいものいけないものがわからずなんでも突っ込みダメにする、物やお金の管理も出来ない。

少しずつ失敗しながら覚えていったようなものでしたが、試行錯誤でまともに出来るようになるまでにかなりの時間がかかったと思います。今でも片付けは苦手ですがなんとか生活できるくらいにはなりました。

私自身、子供と似たような傾向があると思います。なので自分で失敗して解決策を探して出来るようになるまでは非常に遠回りをしてしまいます。教えてもらっていたらもっと早くできるようになっただろうと思うことはたくさんありました。

親が家事をしているところは見ていたはずです。でも見るだけでは覚えられません。いずれ自分の身に降りかかってくることとという意識が全くなかったから。

ちょっと考えればわかることですが、やってもらって当たり前としか感じてなかったんですね、当時は。

親としても子供にやらせてイライラするよりは自分でやったほうが早いからというのもあったと思います。実際、今子供たちに色々教えていても自分でやるほうが手間がかからないことも多いです。

私もそんな感じでしたし、うちの子供たちは私より顕著な傾向があるため発達障害の診断がついていますから、おそらく教えなければ出来ないことっていっぱいあるだろうと思うのです。だからひとつずつ教えていこうとしています。

これは家庭だからこそ教えられることだと思います。

 

出来ないことは手伝う、出来ることは手伝わない

これも至って当たり前のことなのですが、教えて出来るようになったことでも継続してやらなければ定着はしません。

ADHDを持つ娘の場合、自分の今やりたいこと以外はやりたくない人なので、新しくやることには興味を持ちますが、もう出来るようになったことは面倒なのです。

しかし生活をするということは同じことを繰り返し維持していくこと。出来るけど面倒だからやらないでは生きていけません。

なのでいつも自分で出来ることでも「えーーー、かあさんやってー」と言って来るので毎回口癖のように「自分で出来ることは手伝いません。出来ないことは手伝います。あなたが出来ることを増やすのが母さんの仕事です。」と繰り返しています。

娘の制服のボタンが取れかけていたので娘が私にボタンをつけてくれと言って来ました。しかしボタン付けは幼稚園の頃に教えて出来るようになっています。だから自分でやるようにいいました。娘は面倒なのであとでと先延ばしにして一週間。「いい加減ボタンつけないと知らない間に取れてなくなってるよー」と声をかけ、しぶしぶ自分でつけていました。

娘はパンやお菓子を作るのが好きですが、作る前に娘の苦手な片付けも全て自分でやることを条件にしています。ただしどうしても困って手伝ってほしい意思を上手に伝えることが出来たら手伝います。上手く人に助けを求めるのも生きるスキルのひとつです。

「なんで手伝ってくれないの!!ぎゃー!!」が始まれば無視します。

息子の場合はいつも積極的に「何か手伝うことある?」と聞いてくれるのでとても助かります。

休みの日のお昼ご飯も私が用意しようとしていたもの以外を食べたいと言ったら自分で作らせています。自分で作れないものなら作り方を覚えるか、出来るようになるまで我慢です。

親としては子供の世話を手抜きしているようなものなのかもしれません。実際それで楽をさせてもらっていることも多いです。

こまめに子供の世話をやくのがいいお母さんなのかもしれません。しかし子供の自立を考えればその子の興味や成長段階に合わせて手を離していくことが必要なのではと思っています。

私は高齢出産で持病もあり、いつどうなるかわからないだけに子供の自立を焦っているところもあると思います。昨年大きな病気をしたときは、あと少し、子供が自分で生きていけるようになるまで時間をくださいと祈ったものでした。

親として私が子供にしてあげられることにもキャパが限られています。無理をすれば継続は出来ません。子供が出来ることをやっていくより、出来るように教えること、他の環境を整えることに配分を割きたいと思っています。

凸凹の大きな子供たちですから、年齢相当のことが出来ない場合も多くあります。娘は10歳ですが髪の毛を自分で束ねることが出来ません。癖っ毛なので短くすればはね放題、長くすれば不器用なので絡まった毛を自分で梳くことができません。セミロングで束ねて学校へ行っています。しかし自分から見えないところが認識できない、発達性協調運動障害のためとても不器用。自分で束ねるとくしゃくしゃです。だから外へ出るときは私がいつも束ねていますが、出来ないからといって一生私が束ねるというのも不可能な話です。家の中で少しずつ練習をしています。

年齢相当のことから遅れながらでも、不器用で出来ない障害をもっていても、諦めずアプローチをしていけば子供はその子なりのスピードで成長します。出来ないからさせないでいるとうちの子供たちのようなタイプではおそらく自然に習得は難しいと思います。ただ方法は子供に合ったものを探していくことは必要です。生きる上で必要になるスキルは出来なくても工夫でなんとか乗り切る方法を見つけなくてはなりません。逆にこれできなくても生きていけるんじゃね?というものは切り捨てることも大切だと思います。キャパは限られていますから。

ずっと出来なかった蝶結びが、今年春の運動会の鉢巻きのために特訓。二人とも結べるようになりました。家で何度も教えてたのですがこりゃ当分出来ないだろうな~と思っていたことなのでちょっとびっくり。なにかのきっかけがあればそれまでの積み重ねが生きてきます。

発達障害児の子育ては「丁寧な子育て」といわれています。これはこまめに子供の世話をすることではなく、子供の発達段階を丁寧に見極め、ひとつひとつを丁寧に教えていくことだと私は解釈しています。自分の継続できる範囲でやっていければいいなあと思っています。

 

自己理解へつなげる

発達障害をもち将来の自立を考えると自己理解は欠かせません。

自分は何が苦手で何が得意なのか。学校生活の中だけでは気付かなかったことも家でいろんなことをやっていくうちにわかることもたくさんあります。学習面で問題なくやってきた人が社会に出てから急に不都合なことが多くなった、家庭に入ってから困ることだらけで診断が付いた当事者の方も多くいらっしゃると聞きます。

自分の苦手なことに気付いて、必要なことであればどう工夫していくか、それを考えていくことも大切な自己理解です。自分に出来る範囲を知ること、継続するためのキャパシティを把握する、そのための取捨選択をする。

セルフモニタリングも難しい、優先順位も付けにくいと発達障害の特性上ハードルが高いことです。ハードルが高いからこそ少しずつ少しずつやっていって慣れていく必要があると考えています。

 

 エラソーにつらつら書きましたが私もまだまだ未熟な親です。毎日試行錯誤しています。これは我が家の家庭環境と私と子供の特性上、現在でベストな方法だと思ってやっていることです。それでも日々迷い続けています。それぞれのご家庭、お子さんの状況によってはまた違うと思います。

子供に発達障害があると、少しでも将来困らないよう焦る気持ちが出やすいものです。家の中であれやこれややらせて自分も子どももキャパを越えてしまい、余計状況が悪くなる、そんな時期がありましたし、もしかしたら今もそうかもしれません。

私のように子供の世話を手抜きすることで、子供が出来ることを増やす場合もあるという例として書いてみました。

発達障害を持つ当事者でもあり、先輩保護者でもあるふみきちさん(id:fumikichi2525)にいつも「キャパオーバーにしないこと」とツイッターで教えていただいています。子供のキャパだけでなく、自分のキャパを把握することも大切だなあと日々感じています。

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