うちの子流~発達障害と生きる

発達障害を持つ子供たちとの日々をつづります。

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ADHDの投薬に関して現在の考え

このブログの検索ワードにコンサータやリスパダール、ADHDなどが多く見られます。
やはりお子さんへの投薬に関して悩んでいる方が多いのだなぁと。

うちの娘の投薬は今までの記事に経過を書いていますが
4歳で診断がついた時に投薬を勧められ、5歳からリスパダール開始、
6歳になった時にコンサータを始め、副作用の強さからお試しだけで終わり、
就学前に飛出しの危険から再度コンサータを服用。
体の成長もあり直接的な副作用は軽減し約1年半服用、
その間、体重がほとんど増えず断薬。
注意力の散漫が激しくなり日常生活も困る状態になりリスパダール再開。
とおおざっぱに言えばこんな感じです。

最初に薬を勧められた時はものすごく悩みました。
もちろん主治医と何度も何度も相談しました。
それでもこんな小さい子に向精神薬を与えていいのか?と。
私は医者でもなんでもないただの素人。
そして薬を飲む本人ではない。自分にも未経験なこと。
なのにこんな難しい判断を親がしなくてはいけない。

ここなんですよね、ひっかかるのが。
本人が苦しいから薬で楽にしてちょうだいって言ってるわけじゃない。
親の勝手な判断でもしかして危ないかもしれない薬を飲ませる。
(危ないというのは語弊があるかもしれませんが・・)
それも薬を飲むことで親が子供を扱いやすくなったりするわけで
自分のエゴで子供の体や心を痛めつけてるのではないかって
罪悪感にかられるわけです。

コンサータを始めた頃、娘に薬の目的と副作用について話して
本人が飲みたいと言ったので始めたと以前に書きましたが
娘の性質上、なんにでも興味を持つし、
6歳でどこまで理解できていたのかはわかりません。
そして思い込みが激しいのでプラセボ(偽薬)効果もたっぷりあったと思います。
6歳の子が初めて知ることに関して自分の意見と同じ方向に誘導することは容易いですし
無意識にそういう言い方をしていたのではとも思います。
自分の罪悪感を軽くするため娘本人の同意を求めたのではと
今振り返ればそう思うこともあります。

コンサータやリスパダールと薬を変えていますが
娘への向精神薬投与を始めてもう4年が経ちます。
長期投与に関して不安がないわけではありません。

それでも私が娘への投薬を続けている理由はなんなのか。
コンサータを体重が増えないことでやめた時のことです。
思考の多動が激しくなりました。なったと言うより元々こうなのでしょう。
自分が何かについて話している途中ですら別の事に興味が移り
何一つまとまらず完結することも出来ない状態でした。
アクション映画を早回しで頭の中で再生している感じ。
これでは日常生活もままなりません。
本人は高速回転してますから気づかないでしょうが
周りから見ていてとても本人が疲れるだろう、困るだろうと思う感じでした。
今まで出来ていた宿題も出来なくなってしまい
学校で怒られるのはイヤと泣きながら遅い時間までやっていました。
(後に学校と相談の上宿題の軽減をしてもらいました)
娘の場合、自分ではああしなきゃ、こうしなきゃと思っていても
素のままの状態では制御装置が働きにくいのです。

薬をやめたことで一気に娘のQOL(生活の質)が下がったのです。
というよりは薬によって娘のQOLは上がっていたということでしょう。

叱ってはいけないと思いつつも弟に危害を加えることも増え
黙って過ごすことも出来ません。失敗も増える一方。
私の方もどんどん余裕がなくなってきます。
娘の自己肯定感をバシバシ叩き潰していく悪循環がまた始まりそうでした。
(私が未熟なせいですが・・)

環境調整によって支える部分はもちろん大きいと思います。
我が家でもあの手この手で探って試しています。
しかし、本人に全く余裕がなくなってしまったら
その効果もがくっと下がってしまいます。
忙しすぎる思考では落ち着く環境を整えてもなかなか落ち着きはしないのです。
「本人の努力を生かすために薬による底上げが必要」と言われた先生の言葉が
よーくわかった気がしました。

環境調整が有効だと言われても
診断がついたばかりでは親の方もなにをしていいのかさっぱりわからないのが現実です。
本を読んだり色んな所へ出掛けて少しずつ身に着けて行くこと。
それも親の余裕が出来てからのことです。
自分の子供の障害を受け入れることが出来た後でないと難しい。
その間も毎日止まることなく大変な生活が続いていきます。
今から思えば薬を始めて娘が少し落ち着いたことで
私の方も余裕が出来、環境調整をあれこれ考えることが出来たのも事実だと思います。
今でもあっぷあっぷいうてますが、
親も子供も、必死で足元を見ているだけでなく前を向けるだけの余裕が必要。
まずは笑顔を取り戻すために薬が必要な場合もあると思うのです。

薬で障害が治るわけではない、一時的に症状を抑えるだけ、これは本当のことですが
本人がいくら努力しても賄えない部分があるから障害なわけで
その部分を補うのに薬の力を借りるのも有効なことなのではと
現在、私は考えています。
薬の力を借りている中で、自分に必要な工夫を身につけたり
困らない為の習慣づけをしていったり、
そうしているうちに薬の力を減らしていくことが出来ればいいな〜と。

障害とは関係ないですが、私は慢性じんましんを持っています。
最初は増える一方の薬で、転院によって強い薬からのリバウンドに苦しみ
全身のかゆみに血だらけになりながら眠れない日々を過ごしたり
減薬のために漢方を試したり、いろんなことを試してきました。
治る人もいるらしいですが、治らない場合も多いとか。
たかがかゆみが、これだけ日常生活に支障が出るほど辛いこととは思いませんでした。
何事も当事者になってみないとわからないもんだなぁと。
今でも薬と環境調整の両方で生活しています。
ながーい付き合いの結果、今でも治ってはいませんが
薬と仲良く付き合うことが出来ているのではと思っています。
調子が良ければ週に数回の服薬で過ごすことも出来ます。
しかし、症状が出ている時は薬がないと眠ることもままなりません。
薬の良い悪いは専門の方々も色んな意見があると思いますが
私のような素人に出来ることは薬が自分が生きていく上で必要ならば
自分の体をよく知り、上手に付き合っていくことだと思っています。

娘が成長した時に、今までの経過と自分の体や心と向き合った上で
薬との付き合い方が決められるのが理想だと思っています。
本来ならば薬を飲む本人が自分にとって必要かどうかで判断すべきこと。

成人のADHD当事者の方の中にも薬の力を借りて
ご自分の生活のQOLを保ってらっしゃる方も多くいると伺いました。
中には薬がないと仕事の集中力がもたない、薬がなくなれば失業してしまうと
生活に直結しているケースもあるようです。
(リタリンがADHDに処方禁止になった時の話です)
グレーゾーンがあるように同じADHDと診断がついていても
人によって困難も程度も様々です。
環境調整で乗り切ることが出来る人、薬の力を借りる人
そして薬も人や種類によって合う合わないがありますし副作用の現れ方も違います。

まぁなんだかんだと言っていても
この先娘に重い副作用なんか現れたら
「薬なんか絶対飲ませちゃだめ!!」とか言うことコロッと変わっている可能性もありますが
今現在、私個人の娘に向精神薬を投与していることについての考えです。

誰だって自分の掌の中にあるものだけで判断するしかないんですしね。
今後も娘の心と体に向き合っていきたいと思います。

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