うちの子流~発達障害と生きる

発達障害を持つ子供たちとの日々をつづります。

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娘に診断がつくまで ②

前記事の続きです。
発達障害の診断はついていますが、娘はこれといって身体的発達が遅れているということはありませんでした。
寝返り、お座り、歩き始めもごく標準。言葉も普通に出ていました。
なので2歳で娘が「言葉はわかっていても無視をしていた」ことに気付いた時点でも
障害であると疑うことはありませんでした。
検診でも全くひっかかりません。
周りの言うように、育て方に問題がある、と私自身も思ってしまっていたのです。

娘に診断がつくまで ① - うちの子流~発達障害と生きる


それまでは娘は全くわかっていないと思っていたので
感情的になることもなく、してはいけないことをダメと言葉や態度で教えても怒ることはありませんでした。
今から思えば発達障害児にいいと言われる「叱らない子育て」でした。
これではいけない、娘はなぜ行動を止めなければいけないのか全く理解していない。
言葉で伝えるだけではだめなんだ。
そう思った私は娘に感情をぶつけるようになりました。
あなたのしたことで母さんは怒っているんだということをわかってもらおうとしました。

初めて娘を感情的に叱ったのは産まれたばかりの息子を連れて退院してきた日のこと。
淋しい思いをしていただろう娘をしっかり抱きしめて、息子をベビーベッドに寝かせ
荷物の片づけをしていました。
息子が突然泣き出し、飛んでいくと目の下のあたりから出血しています。
姪がすぐに報告してくれました。娘が息子を引っ掻いたと。
下の子が出来てやきもちを焼くのはよくあること。それでも怪我をさせるようなことは許してはいけません。
私の実家で親の前でもあり、娘を厳しく叱りつけました。
それでも娘は謝りません。ショックでなにも言えなくなっていたのかもしれません。
しかし私は娘からごめんなさいの言葉が出るまで叱り続けました。
激しく泣く娘。私はここで折れてはならないと思っていました。

それからは、なんとか娘を座って食事が出来るように、
人の言うことを聞けるようにしなければ、
「普通の子」に育てなければならないと思い込んでいました。
きつく叱れば娘は行動をやめます。激しく泣きます。
そうすることしかこの子をしつける方法はないと思っていました。

息子が産まれたばかりで寝不足の毎日、
2度の高齢出産が祟ったのでしょうか、私はどんどん体調を崩していきました。
数か月も下がらない微熱、時には激しい目眩で立ち上がることすら出来なくなり
這って子供の世話をする日々。
病院へ行っても白血球が極端に少ないこと以外原因はわかりませんでした。

娘は容赦なく暴れ騒ぎ、私を困らせます。
暴れる娘から息子を守ることにも常に注意を払わないといけません。
一度怒りをぶつけると堰を切ったように叱り飛ばす日々。
パニックを起こし泣き叫ぶ娘。
叱りすぎたことはわかっていても、娘をなだめる気力すらその頃の私にはありませんでした。

いくら叱っても、何度言っても座って食事をすることが出来ない娘。
言うことを聞けない娘。
当たり前なんですよね。障害なんですから。
障害で出来ないことを無理やり叱ってさせようとしていた。
出来るわけがありません。
視力の悪い人に叱って根性で見ろと言っているようなものです。

障害と全く気付いていなかった私は
これ以上しつけが悪いと責められるのが辛かった。
娘を身内にすら受け入れられないのが辛かった。
他に娘に言うことを聞かせる方法がわからなかった。


はっきりいって虐待です。
手をあげることだけは絶対にいけないと我慢しました。
しかし、それもいつ崩れるかわからない状態でした。
障害で出来ないことを無理やりしかりとばす、精神的に虐待していたのです。
今となっては本当に娘に申し訳ないことをしたと思っていますが
その自覚すら当時はありませんでした。

3歳になったころでしょうか、なにかのきっかけで多動という言葉を知ります。
もしかして・・と思いネットで調べれば調べるほど娘の行動にぴったり当てはまります。
ADHD、注意欠陥多動性障害。
自分の子供を障害とは認めたくはないですが、娘の行動がこれなら納得が出来る。

3歳半検診の時、希望を出し別室で保健師さんに相談をしました。
保健師さんは娘にもいくつか質問をします。
特になにも遅れがなかった娘は普通に答えます。
そこで言われたことは
「もともとこういう性質なのでしょう。障害ではないです。」
きっぱりと言われました。
障害ではないと言われれば、親として喜ぶべきなんでしょうが
どこかに救いを求めていた私はその気持ちをすべて拒否されたようで、
また自分を責め、娘を責める日々に逆戻りでした。

そして娘にだんだんと症状が現れてきました。
どもり(吃音)が出始めたのです。
日に日にひどくなり、周りにもどうした?と言われるようになっていました。
何とかしなければと思っていたちょうどその頃、引っ越したのでその地区の担当の保健師さんが自宅
を訪問してくれました。

どもりのこと、娘の今までのことを話すと
「紹介状を書きますのですぐに予約を取って下さい。そして弟さんも一緒に受診してください」
ん?息子も?と思いましたが
すぐに児童精神科に予約をいれました。どこもいっぱいで3か月待ちでした。
診察、検査を受け、娘に正式な診断が降りたのはそれから半年後の事でした。

今から思えば、あの時、保健師さんが来てくれなかったら
私たち親子はどうなっていたことでしょう。
自らは抜け出せなくなっていた泥沼から救ってくれたのです。
本当に感謝しています。


次は診断がつき、私が受け入れるまでのこと、息子のことを書きたいと思います。

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